どうぶつ村は人と動物が共生するためのルール作りの基盤を作り上げていきたいと考え、福岡市東区を拠点に
地域ボランティア活動やドッグランの整備を進めております。

理事長エッセイ 敗血症からの甦り 第1章「プロローグ」

この記録は2012年1月19日のK大学付属病院への入院から2月22日の転院そして3月29日のK個人病院の退院にいたるまでの闘病生活ノンフィクションの記録である。

※エッセイ中に使用している挿絵は理事長直筆です。

敗血症(はいけっしょう)

病原体によって引き起こされた全身性炎症反応症候群(SIRS)である。 細菌感染症の全身に波及したもので、非常に重篤(じゅうとく)な状態であり無治療ではショック、DIC、多臓器不全などから早晩死に至る。錯乱(さくらん)などの意識障害も伴う場合がある。
1.化膿性脊椎炎(せきついえん) 2.心房細動(しんぼうさいどう) 3.肝硬変(かんこうへん) 4.慢性腎不全(まんせいじんふぜん) 5.糖尿病 6.高血圧
以上すべてが、わが身で抱えた疾病である。

入院までの経緯

2011年12月27日、前々日の餅つきのケアを兼ね整体を受けた翌28日から脊椎(せきつい)の痛みは始まった。
この腰の痛みは体育教師時代からの持病で、長時間のスタンディングに対して我慢できない程の痛みとなることが三十代の頃よりあった。
冬場でもあり、痛みが出やすい季節でもあったので、何日かすれば(なお)るだろうと多少(たか)をくくっていた感もあり、年をまたいで正月の間も痛みは続いた。
新年になって一週間目の土曜日、腰の痛みとともに40度を越す発熱があり、月イチで出向く病院が休診の時間であったため、5時過ぎに別の診療所に駆け込んだ。
インフルエンザではないものの血液検査の結果、抗生物質を使用しての解熱(げねつ)が出来ないまでに免疫力(めんえきりょく)が低下していた為、点滴による長時間にわたる解熱を開始、“まな板の鯉”同然で22時過ぎに点滴が終了、5時間を要しなんとか熱は(おさ)まった。
ところが翌週からは正月明けの新年会やゴルフ会などが目白押しでスケジュールに入っていた。
自身病気になるなんて思ってもいないので、恒例のお付き合いで入れていたのだが、飲めない、食えない、座れないではどうしようもなく、かなり中抜きをさせていただいた。
どうしてもラウンドを必要とするゴルフ会ではハーフだけのプレイで、後半はカートに乗り同伴者のプレイを見るだけの体調にまで病状は悪化していた。
その週末には、私が講師を務める専門学校の職員が東京から来福し、以前からの約束もあり授業後食事に誘ったが、飲めず食えずで、店の主人に理由を話し接客を頼み、本人に悪かったが早くに帰宅させていただき翌日の授業に備えた。
そんな二日間の授業を終えた日曜の夜、床に就くと背中の痛みで夜中に目が覚め、台所のテーブルでの座位だと何とか痛みが和らぐので、枕を抱えて明け方を迎える日がそれから2日続いた。
火曜の朝にはついに足に浮腫(むく)みが出て、皮下出血は足全体に広がっていた。
かかりつけの内科医に行くと、『自分の領域を超えている。紹介状を書くので大学病院に行ってくれ』とのことで、翌朝大学病院の外来に出向いた。
その日は状態の聞き取りと、血液と尿検査のみでベッドの空き状況から翌日の午後入院となった。
翌19日早朝、病院からの電話で『血液から菌が見つかりました。抗生剤の適合検査中ですが一刻を争うので、すぐに病院に入院の支度をして来てください。』 血液に入った菌はブドウ球菌で総合内科の緊急処置室に入院となった。

次章から舞台は病院に移ります。
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