どうぶつ村は人と動物が共生するためのルール作りの基盤を作り上げていきたいと考え、福岡市東区を拠点に
地域ボランティア活動やドッグランの整備を進めております。

コラム(番外編)理事長の湧出石 Part7
『散歩の目的とエチケットについて』

  今年の五月、やはり温暖化の特徴でしょうか?梅雨前というのに真夏日が続き、ドッグランでは30分がやっとのジリジリ紫外線が、容赦なく降り注ぎます。

 ドッグランが近くにある方は、顔なじみばかりの日などは犬同士で勝手に遊んでくれるので、飼い主は日陰で仲間とティータイムを楽しむことも可能ですが、そのような施設が近くにない方は 完全防備で愛犬のために付き合わなくてはなりません。少々暑くても嬉しそうに散歩する犬を見ていると 日ごろの憂さも晴れようというもの。しかしながらたまに犬との散歩に付き合うことが面白くないのでしょうか?

 犬が立ち止まって用を足していても知らん振り、おしっこの場所が建物であろうが、他人の庭先の花壇であろうが、一切お構いなし。
中にはそれを楽しんでいると思われる人がいるのも事実でしょうが、そんな人ほど自分の車におしっこでも掛けられようものなら烈火のごとく怒ることでしょう。
さすが、近年ウンチを街中に放置していく人は少なくなってもまだまだ“出物腫れ物ところ構わず”の論理が多くの飼い主の考えの中に潜在している。

 ウンチを持ち帰るグッズとおしっこした場所にかける臭い消しの水はどこにでも売っているし、散歩に不可欠の七つ道具であることは、今の時代、犬を飼う人の当たり前のモラル・マナーのはずだが。(たまにスコップだけ手にした人を見かけるが、川を汚している)“物を手に”の散歩に抵抗があるのであれば、散歩中に排泄行為をしない訓練を積むことで、これこそ理想の散歩が実現しようというもの。

 講演会などで参加者に”散歩の目的”について手を挙げてもらうと、八割の人が当然排泄を含むと勘違いしている。
自分の子どもが『おかあちゃん、おしっこ〜』といったら、「車に注意して、お外でなさい」とは誰もおっしゃらない筈だと言うと、手を挙げた方々は皆照れくさそうに笑ってある。

三月にオープンとなったJR九州・箱崎駅高架下のドッグパークにあるドッグランは、ゴールデンウィークの5・6日、雨天にもかかわらず、多くの来場者で溢れた。 高架下という場所の特性で多少の雨でも遊べるからである。

 一方、博多区のゴールデンウィーク前にテストランを開始した『博多の森ドッグパーク』は、それとはっきりわかる目立つ看板もかけてないのに、犬の姿を通りすがりの車から見て、何ができたかと人が集まる。
それだけ、犬を連れて楽しく遊べる場所が少ないのである。
だからといって、ノルマになってしまったのか、仏頂面で黙々と足を運ぶ人を見ていると、何のために飼養しているのだろうとつい思ってしまう。

 犬にとっても飼養者との短い一生、飼養者は犬を選べても犬は飼養者を選べない。
この人と過せてよかったと思ってほしい。そして共に喜ぶ多くの時間を共有できたら、飼養者にとってもそれは人生の豊かな1ページと成り得るのではなかろうか。
 
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